柳家小せん師匠が亡くなった。
戦争に出征した最後の落語家である。
私は噺をひとつ教えて頂き仕事にも連れてってもらったこともある。
軽い飄々とした感じの高座で寄席には欠かせない人だった。
大体寄席はひと高座15分位。だが小せん師匠は10分しかやらないので小せん師匠の前は少しみんなで延ばしてやったもんだ。
この10分高座で客をいつも大爆笑させるんだから大した落語家である。
戦争中は今のベトナム、当時の仏領インドシナへ出征し航空写真兵をしていたそうだ。
仏領インドシナは平和なもんで、ひと月に二度か三度飛行機に乗って写真を撮りに行くだけ終戦まで敵には一度もお目に掛からなかったそうだ。
その上、宿営地の近所の乾物屋の娘とデキてしまって子供までもうけたと言う。
平和のうちに終戦、進駐軍がきたのは昭和22年になってからだったそうで、それまでノンビリと楽しく暮らしていたが、とうとうオランダ軍が飛行機でやって来た。
オランダ軍の兵士は女連れでしかもヘベレケに酔っ払って飛行機を降りて来て「飛行機の中を掃除しておけ!」と命令されて中に入ると吐瀉物だらけのゴミだらけ。
「オランダ人ってのはだらしがないんだな…」と思うのと「ああ…日本は本当に負けたんだ…。情けない…」としみじみ感じた、と酒を飲みながらおっしゃっていた。
その後無事復員。東京の惨状を見て唖然とした。
「これなら帰ってこないほうが良かった…」
その乾物屋の娘はどうしたんですか?と聞くと「日本に帰ると告げるとニコニコ笑いながら子供を抱いて港まで見送りにきたよ。もうちょっと泣かれたりとかされるかと思ったが拍子抜けしたよ」とのこと。
戦争に行きながら本当に辛い体験をなさった方もいればこんな運のいい人もいるんですなぁ。
同じ戦争に行った夢楽師匠なんざシベリアに連行されて極寒の中で強制労働。
女がいないから馴染みの羊で性欲の処理をしたそうで、いざ復員の時はその羊が港まで見送りに来たという。
こっちから羊に手を振ると寂しそうに「メェ?!」と鳴いたってさ。
ホントかどうか…。してみると人間の女より羊の方が情が深いのか?
すると小せん師匠は、「毛深い方が情が深いってェからね!」大笑いした。
とぼけたフラ(生まれつきの面白い雰囲気)があって最後まで爆笑王だった
小せん師匠、どうか安らかに…合掌

